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キリシタンのあしあとを求めて各地を旅してめぐります♪

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 風薫る5月に part4

キリシタン祈念地

  <主な訪問地>

 今日はレンタカーで♪

ホテルの朝食☆

ホテルの朝食☆


おはようございますヾ(@⌒ー⌒@)ノ
4日目の今日はJRの周遊券を使わずに、レンタカーで山口を半周します☆

今回のホテルはビュッフェスタイルの朝食つき。いつも2人で5000円前後の宿に泊まっているので、朝食つきなんてまずありません。おかずの種類まで多くてびっくり。疲れ始めた体に野菜がうれしいです☆ 

さあ元気になって出発だー!

殿居小学校

殿居に到着!


ε=(ノ゜ー゜)ノひゅーすとっ 殿居に到着!(実際には1時間半かかりました^^;)

最初の目的地はフランシスコ毛利元鎮の墓なのですが、どう調べてみても下関市の殿居にあるとしかわからず、「殿居」とだけナビに入れて向ってみたのでした。

途中は山道でしたが、ここまで来ると平地になって、のどかな田園風景が広がっています。この辺りの子供たちはきっと素直に育つことでしょう、うん。
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バス停「殿居」
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殿居の風景
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殿居の民家
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殿居を通る道

毛利元鎮の墓への標識

毛利元鎮の墓への標識


見つからなかったら「殿居」という文字の書かれたものだけでも写真に収めて行こうと思っていたのですが、小学校の手前に何やら標識があるのを見、引き返してみると、目指すお墓への道案内でした◎

マイナーな史跡を探訪するには、動体視力も必要ですな o(゜^ ゜)

フランシスコという霊名が示す通り、毛利元鎮はキリシタン。父親はキリシタン大名、母親もキリシタン大名大友宗麟の娘で、熱心なキリシタンでした。

お墓を目指して

標識が示す道


「今日は運がいいかも♪ この調子が一日続くといいな」と矢印の先に目をやると、道が森の中へと消えています。あの、お墓とか見えないんですけど・・・?

右手には石垣と大きなお寺(見龍寺)があって、普通貴人のお墓ってこういうお寺の墓域にあることが多いのですが、どうもそちらではないようで・・・。

とりあえず道を進んでいって、「やっぱ違うかな~?」と引き返そうとすると、森の手前に先程と同じ案内標識が! ここで引き返しちゃう人結構多いと思う;;

元鎮の墓のある山

山登ります・・・


「えっ この先!?」
と躊躇するのを見越したように、山への登り道にも又案内標識が。これがなかったら行かないなぁ、この道。・・・っていうか、これ道!? スパルタですなぁ;;

それでもあの小さな案内標識に出会えたのも、みこころだと信じて進みます。こんな寂しい所に眠っているなら尚更。ひと目見てお祈りしたいです☆

元鎮はキリシタン禁制時代のキリシタン。政治的にも不遇で全くと言っていいほど表舞台には出ませんでしたが、この辺りで静かに暮らしていたようです。

キリシタンだった毛利元鎮の墓

キリシタンだった毛利元鎮の墓


枯葉のつもった山道を、ざっくざっくと登って行くと、ややっありました!フランシスコ毛利元鎮のお墓!

道の荒廃ぶりからは想像できないほど、お墓の周りはきれいです。誰かが掃除して下さっているのですね☆

父毛利秀包が亡くなった後、母毛利マセンシアとともにこの地に来た元鎮。マセンシアは殿居で布教活動もしたというので、元鎮もその薫陶を受けて育ったことでしょう。元鎮については↓を参照してください。

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毛利元鎮について
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足元注意!
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毛利元鎮の墓
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背面

 マセンシアを探して

鹿!?

鹿っ!?


幸先いいスタートを切って上機嫌な天然夫婦(私たち)は、次なる目的地毛利マセンシアのお墓がありそうな場所にナビをセット。

今回は「江良にある神上寺の山の森の中」という情報をゲットしており、ナビの地図上には「神上寺ユースホステル」の文字が。今回は楽勝かもしれません◎

神上寺の山?という感じの道を進んでいると、ごそごそ動く物影が・・・って、鹿!? 白いお尻がとってもキュート。家族でお散歩なのかしらん (^ー^* )♪

マセンシアへの道

通行止め!?


鹿を見送ってしばらく進むと、えっ通行止め!? しかも自然の、みたいな。

きれいに舗装された道なので、「交通量少ないのにいい道だよねー」とか言っていたのですが、突然の通せんぼです (゜○゜)!

車を降りて枝を支え、ギリギリ通過できましたが、更にまたすごい通せんぼ。最近こんなになるほどの暴風吹いた日ってあったっけ? 

倒木でとうせんぼ

何か大変なことに・・・


進めば進むほど倒木が増えるばかり・・・。レンタカーに傷をつけちゃうといけないので、降りて歩くことに。

大丈夫、もう少しだよ、きっと。。。(心の声)

嵐の去った後のようなものすごい光景の中、竹をくぐり藤を踏み越えて進むこと5分。マセンシアのお墓に導く案内標識を発見しました!

はぁ、よかった。道は合っていたのね☆ 

キリシタン女性マセンシアが眠る山

山の中へ招く小さな案内標識


しかし更に山に登れとは、今回は山づいていることよ(この後更に山づくとは、この時はまだ知らない;;)

少し登るだけかなと思いきや、結構登ります。さっきより道、険しいし。不安になる度に標識が現れて、こっちだよと言ってくれるのはいいですが^^;

しかしこんな山の中に大名の正室(その父親も大名)を葬るなんて、ちょっと待遇ひどくないですか? マセンシアが毛利家に冷たくされたことがわかります。

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車を置いて
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踏み越えて
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不安になりながら登り
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更に登って・・・

キリシタンだった毛利マセンシアの墓

毛利マセンシアのお墓


ちょっぴり義憤に駆られてスピードアップし、肩で息をしながらマセンシアのお墓に到着!

息子の元鎮のお墓同様、あまりにも整然とした様子で、ちょっとびっくり。そこだけきれいに掃き清められたようになってます。

ここまでの道筋を考えると、誰かが頻繁に掃除に来ているとは思えないのですが・・・。

マセンシアのお墓の凛とした佇まい。
素晴らしいです☆
下山!

さあ下山!


祈って顔を上げたら勇気が湧いてきました。冷遇され田舎に押し込められても、キリシタンとしての生を全うしたマセンシアを思えば、倒木くらいなんのって感じです p(・∩・)q

こんなふうに訪れるからこそ思い出に残るんでしょうし。さらっと行くよりずっといいです。さあ下山!

あとこちらのお墓の説明板には、マセンシアの信仰について書かれていてうれしかったです☆ キリシタンだったと書かれてないことって結構あるんです;;

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マセンシアのお墓
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別角度から
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説明板

 お寺に眠るキリシタン大名

滝部の駅

JR滝部駅


次の目的地はマセンシアの夫で元鎮の父、キリシタン大名毛利秀包のお墓! しかし…お墓がある西楽寺の住所を入力してみましたがナビには出てこず、お寺のある滝部の町まで来てみたものの案内もなし。

交番も見つけられなかったので、藁にもすがる気持ちで駅に行ってみました。
「あのー毛利秀包さんのお墓探してるんですけど…」

唐突に尋ねる、おっちょこちょいなくせに必死な様子の旅行者(私)に、駅員さんは実に丁寧に道順を教えてくれました。ありがとうございますっ♪

西楽寺

西楽寺


駅から車で5分ほどのところにありました、西楽寺。今まで巡ったお墓から、山の中のお寺を想像していましたが、町の真ん中に堂々(?)と鎮座していました。

関ヶ原の戦いで毛利輝元とともに西軍についた秀包は、敗れて船で帰る途中病に倒れ、赤間関で亡くなり、この寺に葬られました。

キリシタン大名だったのにお寺に眠っているなんて、ちょっと不思議な感じです。戦に負け、世はキリシタン禁制だったので思う通りにはできなかったのでしょうね。

キリシタン大名毛利秀包の墓

シモン毛利秀包のお墓


秀包のお墓は、小さいながらも端正な印象。秀包という人は…品があって人格的で、静けさを好んだ人だったのかも。お墓を見ていたらそんな気がしました☆

隠居して殿居に去ることになった息子の毛利元鎮は、お寺の方に父の墓のことを「くれぐれもよろしく」と頼んで行ったのだとか。

その約束はしっかりと守られて、秀包のお墓はとても大切にされているようです。参道の入口にも「毛利秀包公廟所」という碑が建てられていました。

歴史に「もし」を持ち込むのはナンセンスだけど、関ヶ原で「もし」西軍が勝っていたら、その後のキリシタン迫害はなかったかもしれない――。そんな考えが浮かんできて、歯がゆい気持ちになりました。

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西楽寺の参道入口
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秀包の墓所
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秀包のお墓
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秀包についての碑

 ザビエルに会ったのに…

山口の日本海側

日本海


わずかな手がかりしかなくて、たどり着けないかもしれないと思っていた3つのお墓すべてに行くことができて、感謝です☆

さて次は大寧寺を目指します。左手に見える日本海は私が大好きな青空の青。「今日一日導いてあげるよ」と神様が言ってくれているような気が♪

ああ、本当にそうなるといいんだけど。大寧寺は有名な観光地だから大丈夫だろうけど、その後が…。いやいや、心配は主に委ねて進みますρ(^-^*)ノ

大寧寺

大寧寺


滝部から1時間ほどで大寧寺に到着。この寺は大内義隆終焉の地として有名だから、きっと大きなお寺なんだろうなと思っていましたが、これほどとは!

駐車場からしてかなり広くて、観光バス何台停まれるだろうという感じ。結構町から離れた場所にありますが、大変由緒正しく格の高い寺院であるようです。

しかし私たちが見たいのは、大内義隆のお墓! 朝からずっと墓ばかり巡っているような気もしますが、ここは外せません。だってザビエルに会ったお殿様の墓なんですから。

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大寧寺略案内
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県指定史跡大寧寺
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山門跡
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山門跡の説明

大内義隆の眠る山

義隆の墓へ


地図を見ると、大内義隆のお墓は広い境内の一番高い場所にあるもよう。
むむっ この坂道を登れというのだなっ!?

今日の私は負けないぞ。おりゃー
・・・・・・はあはあぜぃぜぃ・・・ヾ(´ε`;)ゝ ふぅ。。。

思ったよりも坂道が長くて、くじけそうになりましたが(くじけるなっ)、無事到着しました。大寧寺で自刃した大内義隆と家臣たちのお墓。

大内義隆主従の墓

大内義隆主従の墓


木陰のじめっとした空気の中に、何かを訴えるかのように墓碑が並んでいる様子は、とてもひんやりした感じ。「登りきったぞ」という笑みが凍りつきました。

義隆は仏教の造詣も深く、大寧寺の和尚から授戒を受けて潔く往生したといわれています。しかし一緒に逃げのびようとしてここまで来て、死ぬこととなった人々はどうだったのでしょう。

誰かから見られているような視線を感じては振り返るのですが、人影はなく、早く引き揚げた方がよさそうな気がしました。

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大内義隆について
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義隆の墓
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家臣らの墓
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墓碑群

冷泉隆豊最期の地

義隆の家臣が切腹した場所


経蔵跡。義隆の重臣冷泉隆豊が、最後まで踏みとどまって戦い、最早これまでとなった時に自らの腹を切り、その腸を投げつけて果てた場所です。

一説には義隆と冷泉隆豊は男色の仲だったとか。その真偽はわかりませんが、義隆がザビエルと決裂したのは、義隆が好んだ男色のゆえでした。

義隆は西洋の文物に興味を持ち、キリスト教にも理解を示して布教を許しましたが、ザビエルが男色の罪を指摘すると怒り出し、そのような教えは間違っていると言って譲らず、会談は物別れに終わりました。

大寧寺の橋

磐石橋


栄華を極めた御殿の生活を追われ、逃げ落ちる道も絶たれた義隆は、ここで何を思ったのでしょう。

ザビエルのことは、自分が便宜を図ってやった南蛮人としか思っていなかったのでしょうか。自分を愛してやまない神様がいるという話は、お伽噺のように聞こえたのでしょうか。

たとえどんなに小さな出会いでも、心に刻むべきものがあるのだと思います。義隆が手にした永遠への扉は、悔い改められないことで閉じられてしまいました。

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経蔵跡
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経蔵跡の説明
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義隆姿見の池
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姿見の池の説明

 難易度5!ついに到達できず…

Shibukiは渋木?


山口を訪れた宣教師たちの書簡にたびたび現れるShibukiの文字。
キリシタンの集落があった地名で、萩から数キロの場所にあったと書かれているので、
これは紫福(萩市にある)のことだと解されています。

しかし普通Shibukiと聞いて思い浮かぶ漢字は、「渋木」ではないでしょうか?
山口県の北部長門に渋木という村があり、そこにもキリシタンの伝承が残っているのです。
うーむ、これは是非両方訪れてみなければ!せっかくレンタカーも借りたことだし ⊂((〃 ̄ー ̄〃))⊃

Shibukiは渋木? それともやっぱり紫福?
地図で見るとどちらも結構山の中のようです。山中ではないけど、里山的な感じ。
目にしみるような緑を脳裏に焼き付けながら、レンタカーで山道を疾走! まずは渋木に向かいます☆
渋木の浄土寺

浄土寺


キリシタン伝承のある渋木八幡宮は、住所をナビに入れても出てこず、次に訪れようと思っていた浄土寺に目的地セット。一時間ちょっとで到着しました。

思っていたより立派で洗練されたお寺で、「えっ ここでいいの?」って感じ。

ここにキリシタンのお墓があるっていう話ですが、どう見ても密かに守られてきたという雰囲気じゃないです…。

キリシタン伝承の残るお寺

浄土寺の石段 ><;


しかも山門まで続くこの階段。何段あるんでしょ?
しかしここまで来て引き返すなんて愚の骨頂。ここにキリシタンが眠っているなら、そのお墓ひと目見たいです!

登りきった所には、本堂とご住職の家が。その家のウッドデッキで少年が水で何かを洗っています。

境内をさくっと見て回ってみましたが、お墓とかキリシタンとか欠片もない感じで、おまけに檀家でもない余所者がふらっと寄るには不自然なシチュエーション。

こういう場合どうしたらいいのでしょう?
――やっぱ聞くべきですよね、少年に。
多少唐突な感は否めませんが、私たちが境内にいるだけでも妙なのだから、仕方ありませぬ。

「あのう、キリシタンのお墓ありますでしょうか?」
はっと顔を上げた利発そうな少年は、「ちょっと待って下さい」と屋内に。

いやー大事(おおごと)にしちゃったら悪いんですけど…と思っていたら、少年が連れてきたのは85歳になるというお祖母さん。

キリシタンのお墓のことを尋ねると、再び「ちょっと待ってて」と家の中に。そして長靴と日除け帽子の完全防備でいらっしゃいました。すっかり大事にしてしまったようです;;

キリシタンの墓がある山

キリシタンのお墓を目指して


「こっちからなら登れるかな」と、最初に連れて行ってもらったのはこの道(←)。

手をつきながら少し登ってみましたが、道はなく、途中から傾斜も急になって女性ではちょっと無理そう。少年に先導してもらい、夫だけが登ることに。

ううう、私も行きたい><。。
こんな山奥の誰も行かない所にあるからこそ、もっと行ってみたいし、祈らせてほしい。そう思っていると、お祖母さんが手招きを。

「反対側からなら登れるかもしれない」
その言葉に励まされて一旦下山。境内の方から再びアタックを試みます!

さっきよりも急な斜面に手をかけ、「ここをね…」と、登り始めるお祖母さん!
「えっ!大丈夫です。私登れますからっ」
85歳に先導してもらうわけにはいきません。

お祖母さんを引き止めて登り始める私。枯れて倒れた竹の山がバリバリとものすごい音を立てながら足腰に突き刺さり、下半身はすっかり藪の中に。ワナにかかった動物の気分です;;

山への道はハード

←いつの間にか撮れていた写真


山の稜線から姿を現した少年(夫はどこに?)が、手を差し伸べて引っ張ってくれましたが、私が体重をかけた途端、少年までがズブズブと藪の中にめり込んでしまい、慌てて木をつかんで踏みとどまる始末。

何とか竹のギザギザ地獄からは引き出してもらえましたが、そこから一歩も進めませんでした。その理由は急斜面と降り積もった木々、そして私の重さ…。

難易度でいったら、ここは難易度5です! 
ついに私は到達できませんでした ><

キリシタンの墓

キリシタンのお墓


しかし少年とともに登って行った夫が無事キリシタンのお墓の写真を撮ってきてくれました。私は下からお祈りを。

少年は「ただ石があるだけだけど…」と言っていましたが、お祖母さんによるとどこかの先生(学者さんか郷土史家さんかは不明)が見に来たことがあるということでした。

ただ石があるだけですが、人々の関心を呼んで、キリシタンについてももっと知るようになってくれればいいな。埋もれた歴史にこそロマンがあるのではないでしょうか☆

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キリシタンのお墓の石
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キリシタンのお墓の石

山門から渋木の里を望む

山門からの景色


お礼を言って立ち去ろうとすると、「これ飲んで休んでから行けば」と、お祖母さんが冷たい缶ジュースを持ってきてくれました。

この人情。泣けます。感謝です。突然訪れて、竹薮に刺さって、お騒がせして帰ろうとしているのに…。
次の予定があるので、ゆっくりはできませんでしたが、気持ちに感謝して立ち去りました。

そして考えました。この地に逃れて来たキリシタンたちは、密かに信仰を守って生き、そして亡くなったわけですが、お墓は誰がどのように建てたのか――?

浄土寺のつつじ

浄土寺のつつじ


キリスト教禁制下では、家族が故人を偲んで小さな石を積むのがやっとだったに違いありません。そしてその家族も絶えていき、石の集まりだけが残されたのではないでしょうか。

その人たちを可哀想に思ってお墓を残してくれたのは、きっと里山の心優しい住民たち。キリシタンでなくても、人が人である限り、憐れむ気持ちは同じだから。

この地を訪れてみて、人にも触れてみて、そう感じました。

 キリシタンに焼き討ちされた?

渋木八幡宮の長い石段

渋木八幡宮


浄土寺の少年に、別れ際に道を尋ねて訪れたのが、渋木八幡宮。こちらも立派な石段がお出迎え。咳が出て息苦しい身には、なかなかこたえます。

私「こんなに咳が出るって、風邪かな?」
夫「そんなわけないじゃん」

咳が出ても階段があっても、それでも行かねばなりませぬ。ここの神社は、キリシタンによって焼き討ちにあったと史料に書かれているのです。

どんな所なのか、焼かれた跡など残っていないか、この目で確かめてみたいです。

キリシタンに焼き討ちされたという渋木八幡宮

渋木八幡宮社殿


石造りの鳥居をくぐって林を抜けると、小さいけれど整った感じの社殿がありました。昔から畏れ敬われてきた由緒あるお社だということが感じられます。

さてキリシタンによる焼き討ちですが、古いことゆえその形跡は全く見受けられません。しかし社殿が新しく、社宝にあたる物も焼失して残っていないということは、火事があったことは確かなようです。

問題はそれをキリシタンがやったかどうかですが、キリシタンがいたことと、火災で社殿が燃えたこと以外は、史料を精査しなければ、結論づけることは難しいと思います。

ちなみにここの社叢は長門市指定の天然記念物だとか。鬱蒼としていて迫力があります。

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鳥居
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参道の石灯籠
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参道と社叢
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社叢の説明板

 萩で見損ねたあの場所!

渋木の里を後にして

渋木の里を後にして


愛すべき渋木の里を名残惜しくドライブしながら、次に向ったのは萩。萩には一昨日も行ったけれど、1ヶ所見逃した場所があるのです。

渡し舟が臨時休業していたために行き損ねてしまった史跡――。それは…、そう鶴江台!(ちょっと勿体つけてみました^^)

若葉の頃の田園地帯とは、なんともいいものです。車窓も楽しみながら、一路萩へ (。・ω・。)♪

鶴江台の港

萩ふたたび


萩までは1時間弱。松蔭神社への道が大渋滞しているのを横目に、地元の人が暮らすエリアに車を進めます。どこかに案内板ないかなぁ・・・。

萩を訪れた人のHPを参考にして、この辺りかなと細い道に入って行くと、「こんな所に何の用?」という驚きの表情で地元民に迎えられました。

「あのぅー長崎のキリシタンの碑なんですけど…」
道を空けてくれたおじさんに尋ねると、もっとずっと奥だということでした。が!突き当たりは海です;;
階段を上れとな?天辺が見えないんですけど…

またもや階段・・・


「どうしよう><」
天を仰いで祈ろうとしていたその時、すうっと現れたキレイなお母さん。

その人に尋ねてみたら、「あそこだよ」と言いながら見える所まで連れて行ってくれました。ううう、感謝!

しかし。。。やっぱり階段は避けられないようです。ゼエゼエ言いながらも根性で上りました。ここまで助けてもらってるんだから、私だってがんばらなきゃp(・∩・)q

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突き当たりから
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上って
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上って
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更に進んで…

浦上キリシタンの記念碑

浦上キリシタンの碑


急な階段と雑草に覆われそうな道を抜け、肩で息をしながらやっと目的地に到着。浦上キリシタンを記念した碑です。

長崎から流配されたキリシタンたちが上陸したのが、鶴江台の港でした。
そして故郷を再び見ることができないまま、萩で亡くなった44名が葬られたのも、この地だったのです。

彼らの墓は、現在は萩キリシタン殉教者記念公園にあります。

草が生い茂っていて下を見ることができませんが、全部刈り取ったら海が見渡せるに違いありません。

「正義のために迫害される人は幸いである
 天の国は彼らのものだからである」

碑に記されたこの聖書の言葉の通り、海と空、その先の天国まで見渡せるような、静かで美しく、平安が満ちているような場所でした。

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十字架
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碑文

 キリシタンの里

道の駅「ハピネスふくえ」

道の駅「ハピネスふくえ」


平成の大合併というやつで、萩市となった旧福栄村。その紫福地域が、2つのShibukiのもう一つの方です。ここにはキリシタンの史跡が点在していて、それらを今も住民が大切にしているということです。

というわけで萩から針路を北に取り、旧福栄村のランドマーク的存在の、道の駅「ハピネスふくえ」に立ち寄ってみました。

周辺の地図があればと思っていたのですが、花と野菜の直売所がメインのようで、ちょっと残念。見えにくいですが、正面に「HAPPY」と書かれています☆
仏光寺の重厚な楼門!

仏光寺


幸い新山口駅でもらった萩の観光マップに福栄の史跡が載っていたので、それを頼りにGO!
キリシタン墓があるという仏光寺に到着しました。

仏光寺は、キリシタン墓より楼門と文殊菩薩騎獅像が有名なようです。確かにこの門、すごい風格で、圧倒されます。

キリシタン墓でしょうか?

キリシタン墓?


説明板とか何もないので不安になってしまいますが、大木のそばに据えられたこのお墓と石仏、このお墓の方がたぶんキリシタン墓です。

境内にはこれと似た形の墓石を、他の墓石とともにまとめてある場所もあり、そこには「石造遺物」と書いてあるので、こちらではキリシタンの墓とは認めてないのかもしれません。

それでも見たいと思ったものに会えて、うれしいです。

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楼門
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楼門の説明板
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石造遺物
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石造遺物の説明板

 I LOVE ピンクの道しるべ

キリシタン祈念地への道しるべ

キリシタン祈念地への道しるべ


次の目的地は、黒須の石室と呼ばれるものだったのですが、情報が曖昧で見つからず、断念><。
時計は4時を回っているので、先を急がねばなりません。

ちょっぴり寂しく思いながら、その次の目的地であるキリシタン祈念地に向っていると、ピンクの道しるべが現れました◎ 

これは旧福栄村時代に整備された史跡めぐりのための案内標識。矢印の方向に200m行きなさいと書いてあります。ナイスタイミングな助けに感謝なのです♪

キリシタン祈念地

清浄な空気に包まれたキリシタン祈念地

案内にしたがって山に入って行くと、少し開けた所に出ました。
近隣のキリシタン墓碑を集めて祈念地とし、ミサもできるようにしたようです。
名前の通り、「祈」れる場所で、山の中のサンクチュアリという感じです。

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途中の案内標識
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キリシタン墓碑群
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説明板
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中には像が

伴天連墓

伴天連墓


続いて向ったのが鉄心寺跡。やはりピンクの案内板が頼りです。

鉄心寺はすでに廃寺になっており、その墓域だけが山中に残されているだけなので、案内板なしには到底たどりつけません;;

道路から山にずずいと入って行き、発見。六角形の伴天連墓! 蓮池寺で見たのと酷似しています。

蓮池寺の伴天連墓(灯籠になっていた)も、この地域の石で造られていたということは、やはりルーツは紫福にあったということですね。

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山道を示す案内板
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伴天連墓
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穏やかな表情
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キリシタン墓も

 お助けキャラのおばあさん登場☆

案内板はあるけれど

三位一体像の案内板


点在するキリシタン遺物を求めて更に北へ。次は三位一体像なるものですが、ピンクの案内板にしたがって道を行くも、目の前にあるのは民家ばかり。

「尋ねようにも人いないし…」
天を仰ぎ嘆息したその時、後ろの引き戸がガラガラと開き、ものすごく腰の曲がったおばあさん登場@@

「すみません、三位一体像を探してるんですけど…」

おばあさんは口を動かしながら(聞き取れない;;)、歩いて行き(意図が伝わったのか不安になりながらついていく)、しばらくすると私たちを振り返って言いました。

「この道行ったとこ」

この道をゆけと言われて・・・

民家の脇の道


「え、この道ですか!?」
おばあさんの示した道は、民家の脇の細い道で、どう見ても私道。家族しか通らないような感じです…。

「ここ行っちゃっていいんですか?」
「うん、かまわん」
「この先に像があるんですか?」
「大したもんじゃないけどな」

地元の人には大したもんじゃないと思われているようですが、それを見に来た私たちには宝物です。
おばあさんもいいと言ってくれてることだし、さあ勇気を出して行ってみよう☆
三位一体像

三位一体像


民家脇の道を抜け、山に入って行くと、ちょっぴり傾いた三位一体像がありました。なんと素朴なたたずまい。見る者の心に平安を与えてくれます。

この三位一体像はキリシタンの墓標で、キリスト教の三位一体を表したものだとか。手を合わせた姿からは、神に出会った者の喜びと祈りが伝わってきます。
いいものに会えたなぁ。

RPGのお助けキャラのように(え、例えが古いって?)登場してくれたおばあさんにも感謝。お助けキャラを送ってくれた方にはもっと感謝です♪

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君はこの道を…
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行くことができるか!?
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三位一体像
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説明板

長久寺

長久寺


私たちを見送ってくれるおばあさんにお礼を言いながら、慌しいですが次なる目的地 長久寺へ。

紫福のキリシタン遺物は、山中に置かれたままのものと立派なお寺にあるものと両極端に分かれているようで、長久寺はその後者。聳え立つ門にびっくりです。

法事なのか親戚の集まりなのか、住宅の方には人が集まっている気配。若い庭掃除をしているお坊さんに軽く会釈して、お墓参りっぽく入っていきます。

マリア観音

マリア観音像


「おお、これかぁ、マリア観音像って!」

西洋の絵画によく見られる、マリア様の懐でイエス様とバプテスマのヨハネが戯れている構図と非常によく似ています。

子安観音だと言われればそうとも見えますが、多くのキリシタンがいたことが明らかなので、キリシタンの遺物と考えてもいいと思います。

ちゃんと萩市が詳しい説明板を設置してくれているのがうれしいです。

長久寺にはこの他にも手を交差した像が刻まれた宝筐印塔や十字紋の錫杖を持つ地蔵像、キリシタン墓があります。

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萩市の説明板
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宝筐印塔
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お地蔵様
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キリシタン墓

 ラストスパートで駆け抜けろ!

暮れかかる空

暮れかかる空


時刻は5時を過ぎ、夕陽が最後の光を放って暮れようとしています。

今日行こうと予定していた所はここまでで、この先は時間があったらちょっと行ってみようと思っていた所に参ります。

私たちの見たいものはお墓やそれに準じた石造遺物ばかりなので、暗くなったらよく見えないし、怖いわけで;; さあお日様と競争してラストスパートだ!

佐々木小次郎の墓

佐々木小次郎の墓


訪れたのは、かの剣豪佐々木小次郎のお墓。奥さんが遺髪を納めてお墓としたものなので、正確には遺髪墓というらしいです。

この小次郎の奥さん、実はキリシタンで、キリシタン禁制の世だったので、巌流島で敗れた小次郎の遺髪を抱えてこの地に逃れ隠れ住んだのだとか。

佐々木小次郎がキリシタンと関係があったなんて、不思議な話です。当時キリスト教は様々なところに影響を与えていたんですね。

小次郎の遺髪墓の左奥には、「キリシタン六面観音」と書かれた木碑とともに、伴天連墓っぽい石造遺物が。キリシタンとの関係をうかがわせるのに十分な傍証です。


説明板

小次郎の遺髪墓

その隣の墓石

伴天連墓?

暮れなずむ田園

大内義隆の供養塔は?


本日最後のデスティネーションは大内義隆の供養塔。夕暮れの田園地帯の真ん中で、案内板は見つけたものの、ただ山に向う矢印だけで、道らしい道ないんですが…。

一日の働きを終えて談笑しているおじさんたちがいたので、思い切って尋ねてみることに o( ̄へ ̄o)!

「あららー、ごめんね。今すぐ車どけるわー」
陽気なおじさんたちは道をふさいでいたことを詫びながら、行き先を示してくれました☆

供養塔への細い林道

大内義隆の供養塔への道


しかしこの道、案内板も矢印もなく。。。人に聞かなかったら絶対入って行かないような道ですよね;;

聞くべきときには聞くのが一番だと悟りました。その上地元に伝わる貴重な情報も。

「なんでも大内義隆の側室の一人がこの辺の人で、大内家が滅びた後、戻ってきて供養塔を建てたんだってよ」

そうだったのねー (*゜.゜)ホ・(*゜。゜)ホーーッ!!

大内義隆供養塔

大内義隆の供養塔


山中にやや傾きながら並ぶ大内義隆供養塔。
山口からは随分離れたこの地の、山の中にあるにしては立派な供養塔です。

供養塔を建てた側室の女性は、義隆の寵愛を受け、大内家の権勢とともにあったのでしょう。もしかしたらザビエルにも会ったことがあったかもしれませんね。

偶然かもしれませんが、近くにキリシタン墓を見つけました。大内家の滅亡と、続く毛利家の侵攻で逃れてきたキリシタンが、ここにも暮らしていたのかもしれません。

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道路脇の案内板
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義隆供養塔
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近くにキリシタン墓が
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キリシタン墓

お食事処「山頭火」


夕闇迫る山陰の山道を、日本海側から太平洋側へと一気に走り、
新山口でレンタカーを返却したのは午後7時。
山口って日本海から太平洋まですごく近いんですね。両方にまたがっている県って珍しいような?

今日は愛する「さくら」がお休みなので、駅前の「山頭火」に入ってみました。
山頭火が住んでた街の「山頭火」なんだからと、郷土色を期待しましたが、メニューは普通でした><
というわけで、夫はヒレカツ定食、私は長崎ちゃんぽんセット。
ちょっと塩味が強いのは、山口風? まさかねぇ。。。
ヒレカツ定食 なんでここで食べるの?長崎ちゃんぽん
 

 食事はともかく、今日も一日守られて感謝です☆
 お墓ばかり探し続けたような気もしますが(気だけじゃない)
 キリシタンを求めて西へ東へ山口県をほぼ半周。
伴天連墓の微笑み
 事故に遭わなかっただけでなく
 たくさんの所にスムーズに行くことができました。
 まるで一日導いてもらったかのように ♪(#^ー゜)v
 …しかし体調は思うようにいかないもので。。。
  
 私「なんか喉痛くて声が出なくなってきたんだけど
   もしかして風邪かなぁ?」
 夫「風邪のわけないじゃん。熱ないでしょ?」
 私「熱ない。空気が乾燥してるだけか」
 夫「だなっ」

 そんな会話をしながら外に出ると、夜空にお月様が♪
 明日帰ると思ったら、少し寂しくなりかけましたが
 明日は明日でまだ行きたい所があるので
 感傷に浸るのは新幹線に乗ってからにしよっと☆

 明日もいい日でありますように!
 ここまで読んでくださって…♪(^・ェ・^)あ(・Θ・)り@(・ェ・)@がU・ェ・Uとぉ~ ♪

 

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